オフィスフラノ不動産は北海道・富良野市を中心とした土地・建物の売買の不動産情報をお届けします。
2019年09月24日
<No 31>
■富良野市の令和元年度の基準地価発表! by 富良野のオダジーJr.
今回は、9月19日に発表された基準地価について書きたいと思います。
「基準地価」については、以前このブログでざっくり説明した時のものをまた使わせていただきます。
「基準地価」とは、各都道府県が地域の標準的な土地について、7月1日時点の「更地」としての客観的な価値を評価した価格(1u当たり)で、毎年9月に公表されます。
富良野市の基準地は、桂木町、扇町、北の峰町、幸町の4箇所です。
平成30年と令和元年を比べてみると、下記になります。
桂木町 平成30年:19,500円/u 令和元年:19,500円/u 横ばい
扇町 平成30年:14,900円/u 令和元年:14,700円/u −1.3%
北の峰町 平成30年:19,800円/u 令和元年:21,400円/u +8.0%
幸町 平成30年:46,000円/u 令和元年:46,000円/u 横ばい
北の峰エリアのみ価格が上昇しており、その他のエリアは横ばいか、下落しています。
もう少しグラフを細かく見てみると、桂木町は平成28年度からずっと横ばいで、幸町は平成28年度から昨年までは上昇しており、扇町のみ毎年1.3%づつ下落しています。
各エリアの上昇・横ばい・下落については、下記のことが考えられます。
・桂木町エリア → 富良野小学校の学区であることもあり、地元の方に一定の人気がある。
・扇町エリア → 市街地の中心から少し離れていることや、富良野小学校の学区ではないことが
マイナスに働いている可能性がある。
・北の峰エリア → 引き続き、宿泊施設や民泊等の投資先として注目されている。
・幸町エリア → 市街地の中心街に近く、商業地であることや民泊が可能なエリアがあり、
土地の利用価値が高い。
上記の分析は、あくまでも個人的に感じていることなので、参考程度にしていただければ幸いです。
今年の12月には駅前で工事している「ラビスタ富良野ヒルズ」がオープンする予定なので、今後は駅前や街中もさらに盛り上がっていくかもしれません。
2019年08月29日
<No 32>
■富良野について調べてみる【2】 by 富良野のオダジーJr.
第2回目は、“富良野”のはじまりについて書いてみたいと思います。
今回は、富良野がどのようにできて、どのように現在のかたちになったのかをザックリと調べてみました。役所のHPや市が発行している富良野市開庁100年記念誌等で自分なりに調べたものです。内容に勘違いや間違いがあるかと思いますので、気軽に読んでいただけると幸いです。
【富良野の始まりについて】
1897年(明治30年)に、政府が「北海道国有未開地処分法」を制定しました。これは開墾・牧畜・植樹等に取り組む土地を無償で貸し付け、一定期間内に成功すればそのまま与えるという内容のもので、北海道の開拓を進めるきっかけになりました。
富良野市自体の開拓は、1897年(明治30年)に福岡県出身の中村千幹(ちから)が入地したのがはじまりとのことですが、先に三重県の一行(8名)が上富良野に入地し、「富良野村」を創立しており、範囲としては現在の上富良野町から南富良野町の一帯が「富良野村」だったようなので、現在の富良野市は「富良野村」の一部としてはじまっているのだと思います。その後、1899年(明治32年)に富良野村戸長役場が上富良野町に設置されます。
そして、1900年(明治33年)に上富良野〜下富良野間、下富良野〜鹿越間の鉄道(現在の富良野線)が開通したことで、どんどん人口が増えてきた富良野村は、1903年(明治36年に上富良野村と下富良野村に分割され、下富良野村戸長役場が設置されます。この下富良野村が現在の富良野市の原型です。
当時の上富良野村の人口は3,160人(上富良野町役場HP)ですが、下富良野村の人口は2,618人(富良野市開庁100年記念誌)、1,357人(上富良野町役場HP)と各資料によって違いはありますが、どちらにしても上富良野村の方が人口は多かったようです。
今回調べてみて、なんとなく現在の富良野市から開拓がはじまったのかと思っていましたが、実は上富良野町からはじまっていたことが分かり、何事もしっかり調べないといけないなと感じました。
この続きの富良野市になるまでについては、次回に書きたいと思います。
2019年08月23日
<No 33>
■富良野について調べてみる【1】 by 富良野のオダジーJr.
私は高校までずっと富良野にいましたが、大学進学のために上京してそのまま就職しました。そして約4年前に富良野にUターンし、不動産業に携わるようになってから、道外のお客様などに富良野について聞かれた時に、「よくよく考えてみれば“富良野”のことって、住んでいたけどあんまり知らないなぁ」と思い、少しずつ調べてみることにしました。
なので、今後は自分なりに調べたことを書いていけたらなと思っています。
富良野への移住を考えている方などの参考になれば幸いです。
記念すべき第1回目は、“へそ祭り”についてです。
今年の7月28日、29日に第51回北海へそ祭りが開催されました。
私もへそ祭りを見に行ったことは何回もありますが、始まったきっかけなど、どのような歴史があるのか全然知らないのです。そこで、公式HP等で調べてみました。
【へそ祭り】
昭和44年7月に制定された、「私達は北海道の中心標の立つ富良野市民です」という富良野市民憲章がきっかけとなり、地元の操上秀峰さん、森田藤八さん、横尾栄次郎さんの3人(後に「ヘソ三羽ガラス」と呼称される)を中心に、北海道の中心地「へその町」にちなんで何か町おこしができないかと考案し、へそ祭りの原形が作られていったそうです。ちなみに図腹踊りは「祭りにはユニークさが必要だ。へそを活かした踊りをやろう」と、すずらん商店街の皆さんが考え出したもののようです。
第1回北海へそ祭りは昭和44年8月15日に開催されましたが、踊り手を集めるのが大変で、結局お腹を出して踊ったのはたった11名だったようです。
今では約4,000人の踊り手がエントリーし、約7万人の観光客で賑わうとのことです。
また、調べていると群馬県渋川市にもへそ祭りがあることが分かりました。「日本のまんなか渋川へそ祭り」というお祭りで、渋川市が日本列島を円で囲った中心にあることから、「日本のへそ」を起爆剤にまちの活性化を図るため、昭和59年から開催しているお祭りのようです。見た目が富良野のへそ祭りと似ていたのでビックリしましたが、渋川市の商工会の方が町おこしのために、富良野市のへそ祭りの視察に来ていたようなので、安心しました。
次回は、富良野市の始まりについて調べてみようと思っています。
2019年08月07日
<No 34>
■相続税路線価について by 富良野のオダジーJr.
今回は、7月1日に発表された令和元年の相続税路線価について書きたいと思います。
まず、「相続税路線価」についてですが、ざっくり説明すると、道路(路線)に面する宅地 1uあたりの評価額です。相続税や贈与税を算定するための基準となるもので、国税庁が決定します。評価時点は毎年1月1日で、7月初旬に国税庁ホームページ等で公表されます。富良野市では朝日町、幸町、日の出町、本町、若松町が調査地点となっています。
また、国土交通省が公示する地価公示価格の8割程度が目安となっているので、相続税路線価を0.8で÷(割る)とだいたい公示価格になります。
富良野市で路線価の一番高い地点は、東五条通(フラノマルシェ1とラルズマートの間)で、38,000円/uとなっており、昨年の37,000円/uより1,000円の上昇(前年から約2.7%上昇)です。ちなみに平成25年は29,000円/uだったので、9,000円の上昇(約31%アップ)です。
上昇の要因としては、外国人観光客の増加や新聞等で第二のニセコと紹介されるなど、投資先として注目されてきていることが考えられます。2020年には東京オリンピックも控えていますので、今後も上昇していくのかもしれません。
2019年08月07日
<No 35>
■自宅建築日記 「基礎工事」E by 富良野のオダジーJr.
どうも、オダジーJr.です。
なんやかんやしている間に、前回の投稿から約1年も経ってしまいました。
すいません。
それでは、遅くなりましたが自宅の完成報告をさせて頂きます。
着工から約3ヶ月程で完成しました。
冬も暖かく、快適に過ごせています。
今後はもう少し投稿の頻度を高めていければと思っておりますので、
何卒、よろしくお願いします。